Shared Campus レポート 中村陽太
昨年ごろから、公共空間とアートの距離について考えていた。もちろんパブリックアートのようなものは今日日様々な場所にある。しかし、それだけではない、もっと距離の近い関わり方があるのではないかと思い、それを求めてベルリンへ行った。結論としては、街に土台はあれど、現代芸術は高尚なもののままであるらしいということだった。ウィンドウインスタレーションもあるし、ギャラリーも日本と比べれば桁違いに多い。それらは目につきやすく、入りやすい場所にあるのだが、観衆の数は、場合によっては日本の方が多いかもしれない。受容のベースにある考えの違いはあるだろうが、それでも、単純な距離として捉えるならば、日本とドイツに大差はない。というより、そもそも日本とドイツがとても似ているのだ。これを知ることができたのは、今回のプログラムの大きな収穫の一つだったかもしれない。
今回のプログラムを振り返ってみる。タイトルは、<The Afterlife of Art in the Age of International Art Biennales>。訳すなら、「国際芸術ビエンナーレ時代における芸術のアフターライフ」になるだろうか。タイトルとプログラム内容についてはかなり相違というか乖離があり、中心となる内容は、大戦以後におけるベルリンの街の成り立ちと、アートに関連するプラットフォームの運営についてだった。ビエンナーレは?私はてっきりビエンナーレを多様な視点で捉え、リサーチを通して街に対する影響力について考察するのだと思っていたが、勘違いだったようだ。確かにビエンナーレは見たが、一番大きな会場に至っては、ガイドすらいなかった。そんなことは置いておくとして、まずはベルリンという街について。建物や市場、ランドマークなどをめぐり、その背景について教わった。面白かったのが、冷戦期西ベルリンにおいて開発された地域がちょうど老朽化に差し掛かっており、今まさに再開発をしようという時期であるらしいことだ。今の日本と似た状況である。しかし、ガイドを務めた年配の方が、輝いた目で語るというのが、日本と違う。東京都と不動産屋のキラキラ再開発によって、激暑の都市に人を詰め込んでいくという発想は、非人道的である。優劣があるわけではないが、きっと土壌が違い、言語が違うということは、アイデアがまるっきり違うということ。血の気の多いグラフィティだらけの街は、きっとドイツに住む人のドイツらしいアイデアから生まれたのであろうということが分かった。
これが2つ目の中心となるトピックであったプラットフォームの運営に繋がってくるのだが、地盤が大きく異なる場所におけるプラットフォームのあり方について説明されても、応用可能性がない。しかも金銭的にどうこうみたいな、ドイツにとても限定された話もするので、それを聞いてどのような反応を想定しているのか全くわからなかった。大変だと思えばいいのだろうか?こういう時にも受け取る対象を設定しないのは、アーティストの悪い癖だと思う。個別の事例については確かに面白いものもあったが、それと国際芸術祭の関連を見出すことはできなかった。
問題のビエンナーレそのものについても、確かに面白かった。日本における芸術祭の作品群とは、建物の大きさの違いからくるスケールの違いがどうしても大きい。しかし、映像作品が多いという問題は共通しているようだ。作曲を専攻する身としては、どうもアーティストの映像作品というのは、時間感覚の甘さが目についてしまう。アナログテレビで無理やり映像作品をたくさん展示するというのも、日本と似た感じだ。
最後に、私にとって一番大事なこと。私は英語が相当苦手だ。リアルタイムの翻訳アプリにへばりつき、とても上手とは言えない英語で喋った。一生懸命内容を考え、最後のプレゼンに臨んだ。それでも参加者のみんなはとても優しく、たくさん助けてくれた。最終的に、私は2週間を無事に過ごすことができた。この長いプログラムが上手く行ったのは、私にとって自信に繋がったと思う。ついでにもう一つ大事なことだが、英会話は大して上手くなっていない。多少上達したかもしれないが、そのことはもう全て忘れた。英語を目的に参加してみようというみなさんにおかれましては、「継続が大事」というのは本当ですので、「飛び込んでみたら上手く行った!」みたいな体験に安易に満足せず、継続的に学ぶことをお勧めいたします。



